江戸時代への旅
軽井沢はホワイトクリスマスになりました。
毎年、この時期に本格的な寒波がやってきます。
寒波が来る前、群馬県境の林を歩いてクマの痕跡を調査しました。
峠町から碓氷のめがね橋に向かう道は下り坂が多く、景色を見ながら楽しく歩けます。
当然、逆向きにはだらだらとした上り坂になりますが、何と、「安政遠足」ではこの道を走って登るそうです。
●安政遠足とは? ~群馬県安中市のホームページより~
”遠足”と書いて”とおあし”と読み、毎年5月の第2日曜日に、たくさんの仮装したランナーが走ります。
この遠足の歴史は古く、江戸時代(西暦1855年)に当時の安中藩主「板倉勝明」(いたくらかつあきら)公が藩士の鍛錬のために碓氷峠の熊野権現まで7里余りの中山道を徒歩競走させ、その着順を記録させたことがはじまりで、日本のマラソンの発祥です。
関所コースと峠コースを合わせて総延長50km、標高差は1000m以上になります。

このルートが中山道として使われていた頃には、途中の山の中に集落があったそうです。
一人座って見てみると、確かに、山の中にしては平らな地形が多いような気がします。
こことあそこに家があったに違いない。
そう思うと、冬枯れの林の穏やかな陽射しの中に、中山道を行き交う人々の姿が浮かび上がってくるのでした。
そうでした。
痕跡調査の話をしていたのでした。
雪の上の足跡と、ミズナラ、コナラ、クリ、サクラ、ミズキのクマ棚を確認いたしました!
最後に、一気に平成の現実に引き戻される看板をどうぞ。

玉谷
毎年、この時期に本格的な寒波がやってきます。
寒波が来る前、群馬県境の林を歩いてクマの痕跡を調査しました。
峠町から碓氷のめがね橋に向かう道は下り坂が多く、景色を見ながら楽しく歩けます。
当然、逆向きにはだらだらとした上り坂になりますが、何と、「安政遠足」ではこの道を走って登るそうです。
●安政遠足とは? ~群馬県安中市のホームページより~
”遠足”と書いて”とおあし”と読み、毎年5月の第2日曜日に、たくさんの仮装したランナーが走ります。
この遠足の歴史は古く、江戸時代(西暦1855年)に当時の安中藩主「板倉勝明」(いたくらかつあきら)公が藩士の鍛錬のために碓氷峠の熊野権現まで7里余りの中山道を徒歩競走させ、その着順を記録させたことがはじまりで、日本のマラソンの発祥です。
関所コースと峠コースを合わせて総延長50km、標高差は1000m以上になります。

このルートが中山道として使われていた頃には、途中の山の中に集落があったそうです。
一人座って見てみると、確かに、山の中にしては平らな地形が多いような気がします。
こことあそこに家があったに違いない。
そう思うと、冬枯れの林の穏やかな陽射しの中に、中山道を行き交う人々の姿が浮かび上がってくるのでした。
そうでした。
痕跡調査の話をしていたのでした。
雪の上の足跡と、ミズナラ、コナラ、クリ、サクラ、ミズキのクマ棚を確認いたしました!
最後に、一気に平成の現実に引き戻される看板をどうぞ。

玉谷
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